それでも虹は美しい

「理由を知っていても,その美しさは変わらない」

リズと青い鳥 / 観客の知性を信じるということ

 先週,朝から映画館で二度目の「リズと青い鳥」を観た。最高だった。

 リズと青い鳥京都アニメーション山田尚子監督が手がける監督作品の劇場四作目であり,「響けユーフォニアム」のスピンオフ作品である。

 山田監督は女の子の仕草をフェティッシュに書くのが得意だ。というか,作家性なのだろう。「けいおん」が面白かったのも細かく描かれた動きがかわいいからだ。唯ちゃんはかわいい。

 「リズと青い鳥」ではその作家性が生きていた。登場人物が演技をしていた。セリフの裏の本当の気持ちが読み解けるように演技が配置されていた。すごい計算だ。山田監督は観客が読み解けることを信じている。

 演技を読む,動きからセリフを読み解くことは集中力が必要だ。読み解くこと,つまり発見することから面白さが生じる。山田監督の映画にはその面白さがある。

 冒頭,主要キャラクターである鎧塚みぞれと傘木希美が校門から音楽室に向かうまでセリフのないシーンが続く。そのシーンだけで二人の性格,関係性が説明される。二人のあるきかたの違い,のぞみの後ろをついていくみぞれの控えめな目線にそれらが現れている。

 また,「小道具」からも読み解く楽しみは生じる。そこに情報を込めることができる。たとえば今回はベン図が出てきていて,二人の少女の瞳の色がそれぞれの集合の色と対応していた。鎧塚みぞれの瞳はピンク色であるのに対し,傘木希美の色は青色だ。ベン図の色にも同じピンクと青が使われている。はじめ交わらなかったピンクと青は,物語の最後に混ざる。教室のシーンで教師が語っていた「互いに素(そ)」の状態から,公約数を持つようになる,つまり同じ要素を持つようになる。

 全く同じ要素を持っていなかった2人が,同じ要素を持つところで物語は閉じる。同じ要素を持った瞬間は一瞬なのかもしれない。だからこそ儚く美しい。「ハッピーアイスクリーム!」といった鎧塚みぞれの顔は楽しそうだった。ラストシーンで振り返った傘木希美は笑っていただろうか。笑っていてほしいと思う。

 後半,青い鳥が群れで飛び立つシーンは祈りだと思う。学校という鳥かごに入り,飛び立っていく。鎧塚みぞれは自分自身が鳥であること,飛び立てることに対しそうすべきであると向き合った。傘木希美は自身もやはり鳥であることに気がつけただろうか。リズと少女は同じ声優が演じており,それは鎧塚みぞれと傘木希美の中に,リズと少女の要素どちらも入っているからだと思う。傘木希美もやはり鳥なのである。

 文章の中で傘木希美に対する割合が多くなったのは僕が相当やられているからで,映画を見てから一週間ぐらいずっと傘木希美のことを考えている。ここまでさせるのは読み解くための情報が多いことが原因だ。山田監督は観客がその情報を読み解くことができると考えているはず。

 どんどん作品の質が上がっていると思うし今後も新しい作品がまだまだ観られると思うと楽しみだ。「リズと青い鳥」は最高だった。